北星丸T世
慢性的な食料不足に苦しんでいた第二次大戦後の日本における水産教育を後押しするために、文部省は北海道大学と鹿児島
大学の水産学校に、学生訓練航海にもちいる2隻の船舶を購入するために600万円を交付した。
北星丸U世
北星丸U世は8450万円をかけて清水市において建造され、1957年2月に完成した。北星丸U世は全長37メートル、
排水量222トンであり、450馬力の機関、可変ピッチプロペラを備えていおり、乗員定員43人(乗組員21人、学生2
0人、研究者2人)であった。流し網、延縄、棒受け網がおこなえるように艤装された。1965年10月には船体改造が行
われ、全長は43メートル、排水量273トンに大型化され、主機関も出力600馬力に一新され、アンチローリングタンク
が新たに設置された。北星丸U世の就航航海は1957年6月に行われた、オホーツク海北部ニシンの分布調査航海であった。
この調査結果は北海道のニシン漁の発展に多大な功績を残した。この航海やその後の航海で得られた様々なデータは北海道大
学から海洋調査漁業試験要報として出版され広く公開されている。
北星丸V世
北星丸V世は15億470万円をかけて新潟市において建造され、1976年10月に完成した。北星丸V世は全長62メ
ートル、排水量893トンの船尾トロール船として建造され、2100馬力の機関、バウスラスター、アンチローリングタン
クが設置された。乗船定員は71人(乗組員27人、学生40人、研究者4人)にまで増やされた。設備は船尾トロール、流
し網、マグロはえ縄、旋網をおこなえるように艤装された。北星丸V世はU世の航海計画を引き継ぎ、冬は南太平洋、春は北
海道南部、夏は北海道北部の航海を行った。1987年から秋に北海道の太平洋沖のトロール調査を行うようになった。
ハワイ
特設専攻科
最後に
査読していただいた、梶原善之、亀井佳彦、目黒敏美、桜井泰憲、島崎健二、山口秀一、山本潤に感謝します。
1948年、文部省は全長27メートル、排水量70トンの2隻の旧日本海軍駆潜特務艇を移管した。両船は建造から6年
しか経っていなかったが、荒れ果てて木製の船殻から海水が漏れており、1948年6月、両船は改修のため下関港に曳航さ
れた。改修が始まるまでの7ヶ月の間も海水の浸水が続き、沈没を防ぐため1日に3,4回の汲み出し作業が必要なほどであ
った。
改修の間、両船を区別するため、鹿児島大学の船には「南星丸」、北海道大学の船には「北星丸」というあだ名が付けられ
た。後に公式の船名を決める際、鹿児島大学の船には「新潮丸」、北海道大学の船には「幸潮丸」という船名が提案された。
「新潮丸」は正式に採用された、しかし北海道大学の船は北海道を基地とすることなどから、あだ名であった「北星丸」が正
式な船名として採用された。
両船の改修作業は1500万円の費用をかけて1949年4月に終了した。北星丸T世は船殻、船橋、船尾を修繕し、機関
と無線装置を新しいのものと取り替えた。北星丸は104トン、210馬力の機関、乗組定員32人(乗組員16人学生16
人)、底引きトロール、流し網、サンマ棒受け網をおこなえる船として生まれ変わった。
北星丸T世は1949年5月から主に北海道周辺において練習航海をおこなった。北星丸は春季には北海道東沖におけるサ
ケ・マス流し網調査、夏季には日本海北部の武蔵堆付近において未開発の底魚漁場探査を行った。漁場探査の結果、ホッケの
好漁場であることを発見した。この漁場は北海道北西沖における重要な水産資源として開発された。また秋季にはスルメイカ
(マイカ)調査を噴火湾付近で行った。
しかし、たった7年の間に、北星丸T世は急激に老朽化し、安全に航海することが難しくなった。そのため、代船の建造費
が国家予算で割り当てられた後、1956年12月に廃船となった。廃船後、北星丸は民間会社に払い下げられ、2年間、北
海道南部において貨物船として活躍した。
1957年から79年にかけて北星丸U世は毎年、冬季に南太平洋、夏季にオホーツク海とクリル列島南部の航海を行った。
南太平洋航海において、学生は新たに開発された立てはえ縄を含むマグロはえ縄漁の実習を行った。この航海はマグロ類の分
布と生態、特にビンナガマグロの鉛直分布について調査が行われた。1961年から1962年に行われた南太平洋航海にお
いて初の外地寄港が計画され、シンガポールに寄港した。その後40年間で北星丸U世、V世は84回の外地寄港を行い、1
8の港に寄港した。夏季の航海で学生はサケ・マス流し網漁の実習を行った。1968年からは春季に北海道南部におけるト
ロール調査もおこなわれるようになった。
北星丸U世は1976年8月の最後の航海までの19年間に47回の実習航海を行い、1513人の学生を乗せ33万マイ
ル以上を航海した。また、それらの航海には北海道大学の内外から146人の日本人研究者が乗船した。
夏のオホーツク海と日本海北部への航海ではシロサケの幼魚の調査、特に外洋への回遊調査が行われた。学生は旋網漁、流
し網漁、表層トロール漁の実習をおこなった。政府の新規漁場開発計画により、北星丸も1977年から80年にかけて夏の
航海で天皇海嶺周辺海域において大規模な漁場調査をおこなった。調査は海嶺付近において底層トロールと立てはえ縄によっ
ておこなわれた。また海底地形も調査され海図が作成された。1978年の航海において、初めて海外の研究者が北星丸の航
海に乗船した。その後1978年から1992年までの北太平洋航海にアメリカとポーランドの研究者14人が乗船した。1
982年にオホーツク海航海が廃止になり、新たに北太平洋東経155度ライン、170度ライン、175度30分ラインの
航海が行われるようになった。これらの縦断観測は2001年まで続けられ、生態系の長期変動の研究に貴重な時系列データを提
供した(e.g. Rearcy et al. 1996, Yatsu et al. 2000)。
北星丸V世もまた冬季の南太平洋航海を行ってきた。しかし、1970年代に南太平洋の多くの島国が200海里排他的経済
水域を設定したことにより、北星丸は北太平洋中央部の公海に向かうことになった。1977年に初めてハワイのホノルル港
に入港した。1979年からハワイ近海においてマグロはえ縄漁がおこなわれるようになった。1981年にはハワイ大と米
国海洋漁業局との共同調査航海がおこなわれた。1981年から2001年までに19回の共同調査航海をハワイ近海でおこ
なった。調査は主に頭足類とハワイ近海の中深海層における生物群集についておこなわれた。アメリカ、カナダやフランスの
14の大学・研究機関から延べ98人の研究者が共同調査航海に乗船した。ハワイ航海をおこなった船長は、山本昭一(19
77−78)、小林源司(1990−91)、安間元(1992−93)、目黒敏美(1994−2000)である。
1979年から2001年にかけて、北海道大学水産学部には航海術や操船術を学ぶ1年間の特設専攻科があった。専攻科
に進学した学生は航海術、漁労、海事法規を授業で学んだ後、北星丸の冬季航海であるハワイ航海において実習航海がおこな
われた。1979年から2001年までに238人の専攻科学生がこの実習航海に乗船した。同様の特設専攻科は他3大学も
設置されていた(東京水産大学、長崎大学、鹿児島大学)、しかし、入学者の減少にともない、2002年に4つの特設専攻
科は東京水産大学に統合された。研究は北星丸による航海の重要な部分であった、しかし1949年以来、北星丸の航海の主
な役割は水産学部学生と特設専攻科学生の実習教育であった。特設専攻科の統合・廃止にともない、北星丸は廃船となった。
北星丸V世は25年以上にわたり95回の実習・調査航海を行い、3200人の学生を乗せ53万マイル以上を航海した。ま
た、北太平洋の調査・研究に貴重な功績を残した。
ジョンhansi-font-family:Century'> バウワー(北方生物圏フィールド科学センター助手)